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都市に集中した建築を自然に戻したい

隈 研吾

Kuma Kengo

建築のことよりも世の中のことを学べ

幼いころは猫が好きでした。だから、獣医になろうと思っていました。ところが、1964年の東京五輪に向けて建てられた国立代々木競技場の室内水泳場を見て、衝撃を受けます。当時10歳でしたが、かっこよさは分かります。連れて行ってくれた親父に誰が造ったのかと聞いたら「建築家だ」と一言。それで、将来は建築家になると決めました。ところが、それから6年後の大阪万博会場の建物にはがっかりしました。思い描いていたものとは違うからです。16歳の少年はもっと人間的なものを求めていたのに、パビリオンはどれも非人間的な建築に見えました。大学で本格的に建築を学ぶようになり、人生で最高の旅をしました。サハラ砂漠の集落を2カ月がかりで調査するのが目的です。家々は一軒一軒が地面から生えた植物のような建物です。万博とは真逆です。建築に再び向き合おうという気持ちになりました。日本の家が一つの塊であるとすれば、サハラのそれは小さな小屋の集合体です。自由さを確保した上で隙間を正しく使っているなと感じました。

これまでの都市型建築が目指したのは「閉じたハコ」でした。そこで快適に過ごすために、照明や空調などが必要になります。そのためには電気がいる。電気をつくる過程でCO2が出るので地球が暑くなる。悪循環です。それに比べ、風はどこにでもあります。ハコの外での生き方を考えるヒントです。このところのキャンプブームも、そのあたりに人気の秘密があるように思います。そこで、東京五輪2020の国立競技場は、夏に開催されることを考慮して、外の風を庇にぶつけて中に取り込めるような設計を試みました。「風だけで気持ちよく過ごせる場所」にしたかったからです。このため、風がうまく流れる庇の角度や空ける隙間をコンピュータで入念にシミュレーションをしました。実際、夏場で猛暑日が続いたにもかかわらず、工事期間中、熱中症患者を一人も出さずに済んだほどです。

建築家としての覚悟を迫られたのはバブル経済が崩壊し、東京の仕事がすべてキャンセルされた時期です。それを機に10年間、地方を回りました。そのおかげで地域に根ざしたさまざまな材料を学び、多くの素晴らしい職人さんと知り合うことができました。例えば、高知県・梼原(ゆすはら)町では「地元の木材を使うこと以外、一切注文を付けない」という町長の心意気で、いくつかの仕事に携わる機会を得ました。大学では鉄とコンクリートの建築しか学ばなかったので、木のことを猛烈に勉強し、そして目覚めました。地方では木の使い方や発想の仕方を学びました。そういう経験を通じて「やってよかった」と心底思いました。バブル期の東京ではプロジェクトのマネージャーと打ち合わせて、図面を描いて出したら、知らないうちに建っていることも珍しくありません。地方では職人と一緒に知恵を出し合う。人任せにしない。ですから出来上がったものにも自ずと愛着を覚えます。

数多くの仕事をしてきましたが、新型コロナウイルス禍が収束した後は、建築のテーマが変わるでしょう。以前は自然から多くの知恵を得ました。人々の暮らしは狩猟から農耕、都市への集中という一方通行で発展してきました。その仕組みが持たなくなって現れたのが新型コロナウイルスではないでしょうか。ですから、今後の建築は、集中から自然への流れに目を向けるべきだと思います。世の中はさまざまな場面で「持続可能性」を追求しています。それ以上に大切なのは、建築のあり方を「自然に戻すこと」に向かわせることです。それは、建築に携わる人たちの使命だと思います。次代の建築を担う若い人たちには、世の中のことを知って欲しいと思います。建築のことばかり学ぶのは見当違いです。世の中を知る早道は、事情の許す限り長い旅をすることです。旅を通じて人と出会い、その土地に根を下ろして暮らす。それは、これまで建築の常識とされてきた都市への集中に区切りをつけ、自然に戻す取り組みの始まりでもあります。

隈 研吾

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